実久さねく

大島海峡の西端入口、加計呂麻島側に位置しています。戦時中は、砲台が築かれ大島海峡の西側入口を守っていました。弾薬庫跡などの保存状態は良いのですが、散策路などは整備されていないので、見学は地元の方と一緒が良いでしょう。
また、旧暦のクガツクニチには、実久三次郎神社大祭が行われ、勇壮な棒踊りが披露されています。実久ブルーとも言われる美しい海と無人島の江仁屋離も一見の価値ありです。文化遺産は、砲台跡、棒踊りなどがあります。

【実久三次郎】
1156年の保元の乱で敗れ、伊豆大島に流された鎮西八郎為朝が、伊豆付近から琉球列島に渡った形跡が島伝いに残っている。為朝が琉球へ渡る途中、加計呂麻島の実久に立ち寄った際、地元の娘との間に生まれた子供が実久三次郎である。現在、実久には、実久三次郎を祀った『実久三次郎神社』があり、境内には三次郎とその母の墓がある。
三次郎は、怪力の持ち主で、宇検村名柄に住んでいた名柄八丸という豪傑とチカラ比べをした。三次郎が八丸が住む名柄めがけて200キロ近い大きな石を投げつけた。大きな石は大島海峡を越えたが、名柄までは届かず、久慈の近くの伊目に落ちた。この時に握った石には指の跡がつき、この時ふんばった石には足跡がつき、これらの石はともに境内に残っている。

【遺物】
瀬戸内町遺跡詳細分布調査報告書 P50,51
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