「与路島」豊年祭・敬老祝賀会

2013年09月16日 | 関連する集落:与路
旧暦8月に入り、
瀬戸内町は豊年祭シーズンを迎えています。


9月8日(日)、
与路島の与路(よろ)集落で
豊年祭ならびに敬老祝賀会が開催されました。





豊年祭は、もともとシマの人々の無病息災や五穀豊穣を祈願するもの。
一年の疲れを癒やすための最大の娯楽だったと言われます。

今では敬老会を兼ねるところが多く、
年中行事の中でもシマ(集落)が最もにぎわう日。



与路では、以前は豊年祭を旧暦8月15日に必ず開催していましたが、
島外在住の出身者や関係者が足を運びやすいよう
平日に当たる場合は、
旧暦8月15日より前の日曜日に設定しています。


昨年の豊年祭は、残念ながら台風のために中止でした。

今年は、台風が来て延期してもいいように、
かなり早めの日にちにしたそうです。

みんなの願いが届いたのか、今年は快晴!




与路島は、人口96名、世帯数56戸(2013年8月末現在)。

島に集落は、
与路集落がひとつ。

学校は、与路小中学校があり、
現在は、小学校4名・中学校3名、
教職員8名が在籍しています。


 * *

準備も整い、
いつもは静かな集落の
にぎやかな一日の始まりです。





豊年祭を楽しみに
与路島外に住んでいる出身者や関係者が数多く帰省してきます。

彼らを運ぶのが、
奄美大島本島と、与路島を結ぶ「定期船せとなみ」

同じ瀬戸内町内ながら、
奄美大島本島の古仁屋港からお隣の請島を経由して、
約1時間半かかって与路島に到着。

この日も、様々な方が
定期船せとなみに乗ってやってきました。



与路島に、旅人がやってきた時の対応にこんな言葉があるそうです。

「ユルッチュヤ オーレ オーレ」

意味 : 与路の人は、「来いよ、来いよ」と歓迎してくれる

そんな言葉どおり、
「オーレ、オーレ~~!」と、
集落のみなさんが、チヂン(太鼓)やハト笛とともに、
下船してくる人々を踊って歓迎します。





下船してくる方々も、みなさん笑顔!

シマに戻ってきた喜びを、
手踊りで陽気に応えます。




12時になり、
いよいよ豊年祭ならびに敬老会の開始。


まずは、開会式です。

国旗掲揚や来賓の祝辞、敬老会代表の謝辞などがあり、
その後、余興に入っていきます。

今年の敬老者は27名。そのうち出席者は10数名。

敬老者に楽しんでもらおうと、
様々な余興が準備されています。




祭りの中心となるのが土俵。

この軍配の回りにある4つの柱は、
「イビガナシ」をあらわしているそう。

「イビガナシ」は、
瀬戸内町方面で、シマをたてた守り神と言われています。

与路では、イビガナシをお供して
一緒に豊年祭を行なうという意味があるそうです。


 * *


青壮年団による力強い「振り出し」。
厳かに儀式は、はじまります。

ほら貝を吹き鳴らし、
「ヨイヤー、ヨイヤー」のかけ声とともに入場。
塩で土俵まわりを清めていきます。





それに続く2人が担いでいるのは、焼酎甕。
現在では、この焼酎甕には焼酎の2合瓶が入っており、
敬老者などに振る舞われていました。





奄美が本土復帰(昭和28年)ごろまで、
この焼酎甕を豊年祭前日に青年団が担いで、
集落の各戸で焼酎をもらってまわっていました。。

一戸あたり一合ずつ提供する決まりになっており、
翌朝から自由に飲まれ、行事が終わって打ち上げの宴会が終わる頃に
ちょうどすべて飲み干される分量になっていたそうです。


また以前、与路島では、
豊年祭当日に「い草」を床の間や仏壇にいける習慣があったそうですよ。


土俵入り


 
土俵入りのあとの相撲は、
前相撲、青壮年相撲、個人戦相撲優勝戦、結び相撲と続きます。


「ヨイヤー、ヨイヤー、サッ」
気合が入ります。




相撲は、ちびっ子同士、親子対決などもあったり。




さまざまな取り組みに、会場のみなさんが盛り上がりました。




この一年に産まれた新生児の「土俵入り」もありました。
赤ちゃんの足を土俵の砂につけて、健やかな成長を祈ります。

大島紬の化粧まわしもステキですね。
土俵の上では泣いて会場を沸かせていましたが、
終わった後はこの「どーだ!」と言わんばかりの表情。大物の予感です。




婦人会による余興も。




踊りの練習をし、また準備や接待で大忙しの婦人会のみなさん。
この日を無事に迎えてホッとひと安心だと思います。




敬老のみなさんも楽しんでくださっていてなにより。




飛び入り参加では、名瀬や古仁屋在住の与路会のみなさんが、
奄美群島本土復帰60周年を記念して踊りを披露。



その後は、会場総出、
土俵の回りにぐるりと輪になって八月踊りです。






みなさんの唄と踊りの素晴らしいこと!



唄える人が少なくなってきて、
伝統の継承が難しくなりつつある集落もあります。

与路の八月踊り保存会は昭和16年に発足。
集落区長の保島さんは、「当時の人たちが30人以上育っていて、
唄える人が数多くいるので当分大丈夫」とおっしゃっていたのがよく分かります。






そして相撲の個人戦優勝戦などがあり、
閉会式を経て、
無事に「与路地区 豊年祭ならびに敬老祝賀会」は終わりました。


**


島にたくさんやってきた人々も、
そろそろお別れの時間。

16時には、古仁屋港に向けて、
定期船せとなみが出港します。

ここでも集落の方々が、最後の見送り。




帰る人々も甲板に出て、手を振りながら別れを惜しみます。




「またオーレよ~~~!」。




みなさん、せとなみが見えなくなるまで、お見送り。




にぎわっていた島に、
また静かな時間が戻りました。


 * *


与路では、「食べてるねー?」「飲んでるねー?」、
「与路に来て、お腹すかせて帰ったらいかんよー」と、
みなさんに気にかけていただき、
とても楽しい時間を過ごせました。


ちなみに、与路小中学校の運動会は、
9月22日(日)です!



与路島のみなさん、
いろいろとご協力していただき、本当に感謝いたします。
ありがとうございました!




< 参考文献 >
・ 「瀬戸内町誌 民俗編」 瀬戸内町
・ 「与路島誌」 屋崎 一 
・ 「瀬戸内町立図書館・郷土館 紀要 第3・4号」 『与路島ノート 1・2』 町健次郎
・ 「瀬戸内町立図書館・郷土館 紀要 第2号」 『請島ノート』 町健次郎






2013.09.08
瀬戸内町 与路島 与路

奄美.asia / Y.K