島のお盆(送り) 西古見

2013年09月01日 | 関連する集落:西古見
旧暦お盆の3日目、送り盆。

ふたたび西古見を訪れました。


「中日(なかび)」と呼ばれる2日目は、
親戚の家や、他の家へ拝みに回ったりします。

西古見で働く古志(こし)在住のかたによると、
古志では、「中戻し(なかもどし)」と言って
窓に提灯をつけておくと、
初日に迎えたご先祖さまが2日目の午後3時ぐらいに
いったんあの世に戻っていくそう。
その後、ふたたび勝手に(!)自分でこの世に戻ってくるとか。

集落によっては、
14日の夕方にいったんお墓に送る集落もかなりあるようです。
その後は15日に、また迎えに行ったり、
自分で戻ってきたりとさまざまな「中戻し」があります。


* *


送り盆の日、
まずお話をうかがったのは、茂(しげる)さんのお宅。

イフェダナ(位牌棚)の後ろには、屏風を立てていました。
こちらは、お盆の時だけ使う屏風。



位牌棚を見えないように
屏風で囲うお宅もあるそうです。

あの世から来た親と、この世の子が対面し、
話などをするので外から見えるといけないからだと言われています。




われわれが茂さん宅にうかがった時は
送り盆のお昼の食事が供えられていたところでした。

赤飯、味噌汁、煮物、お茶。
ショウロウの葉を落とし作った箸は、十字に挿しています。
この「十字のバッテン」が魔除けになるとの言われも。


茂さんのお宅では、3日間のお供えに、
肉や魚はいっさい使用せず。これも家によって違いますね。


< 13日 迎え盆 >
夕方にお迎え
お茶、お菓子(じょうひ餅)

< 14日 中日 >
朝 : 白ご飯、味噌汁、お漬物、お茶
昼 : そうめん(茹でて浅いお椀に入れて、ダシとネギをかける)、お茶
夜 : お茶を変える

< 15日 送り盆 >
朝 : 白ご飯、漬物、味噌汁(豆腐・ワカメ)、
昼 : 赤飯(お汁粉にすることも)、野菜の煮物(厚揚げ、昆布、冬瓜)、味噌汁
夜 : お昼のものに、揚げ物などおかずを添える
18時すぎに送り

以前は、「七夕大根」と言って、旧暦7月7日七夕に大根の種をまいて、
育った菜っ葉をお味噌汁の具に使っていたそうです。


 * *


また昔は型菓子を自宅で作っていて、
まだ木型をお持ちでした。


この木型に、
かし粉、黒糖、ハチミツなど混ぜあわせたものをはめて型菓子を作ります。




「昭和十一年」とあります。
近所などで貸し借りするから名前を明記していたんでしょうね。




茂セツコさんのご実家は、隣の管鈍(くだどん)集落。
旧盆のやりかたは、西古見とだいたい一緒だけど、
送りの日は、なんとお墓で花火をするそうです!


* *


その後、お盆の初日にうかがった濱崎さんのところへも、
ふたたび足を運びました。

14時半ごろでしたが、
送りの夕食を供えていたところ。


赤飯、味噌汁(豆腐、菜っ葉、豚肉)、ニガウリと卵・ツナの炒めもの。
冬瓜と豚肉の煮物、たくあん。




その後、15時半ごろには、送りのお祝いのごちそうが出されました。




位牌棚には、おちょこに焼酎、ビール、スイカなども供えられ、
ご先祖さまをはじめ、亡くなった濱崎さんのご主人もきっと大満足でしょうね。


* *


そうこうしていると、送り盆も終わるころに。

17時ごろから、
ぽつぽつと提灯を手に
墓地へと向かうかたがたの姿が集落内に見えてきました。

家から、ろうそくを灯した提灯でご先祖さまをお伴して、
お墓へとお見送りします。




18時ごろには、
西古見の墓地もかなりのにぎわいが。


濱崎さんも、いらっしゃいました。




提灯もさまざまできれいですね。




「来年もまた来てください」と拝み、
花を新しくし、水やお酒、そしてあの世へのおみやげも供えます。







提灯は、家からお伴してきたものとは別に小さなものをお墓に。
吊り下げる金具がお墓に備え付けてあったり。




竹を使って吊るしたり。




提灯の吊るしかたもいろいろあって興味深いですね。




ご先祖さまへのあの世のおみやげとして
お墓に供えられるのが「ムジノコ」。

団子に、ムジ(里芋)の茎をきざんだものと、米粒を混ぜたもの。




ムジ(里芋)の茎は笹切りにしたり、
お金のように丸く切ったほうがいいと言われる集落、
ムジの葉っぱを下に敷くやり方法も。
米も生米だったり、水でふやかしたり。




その他のおみやげとして、
型菓子や果物もありました。ショウロウ箸も一緒に。




集落も人口が減ってきて、都会で暮らす親戚や近所の人から、
送りを頼まれているかたも多いようです。

1人で1時間以上かけていくつものお墓で、
花を替え、線香をあげて、提灯を立ててと
ていねいに送りをしているかたがいらっしゃいました。




お盆では「迎えは早く、送りは遅く」と言われており、
さらに「他の人よりも遅くお伴するのがよい」と、
暗くなってから送るかたが多かったそう。

集落のかたがたも年配の方が多く、
真っ暗になると墓地では足元が危ないこともあって、
まだ明るいうちに送る人が増えているとのこと。

「昔は、真っ暗な中に提灯の灯りだけがいっぱい浮かんでいて、
そりゃ綺麗だったよー」と、懐かしむ集落のかたの声がありました。



* *


日が暮れ、夜19時半になると、
集落の公民館の広場で、八月踊り。

「♪ ドン、ドン、ドン~、ドン、ドン、ドン~」と、
チヂン(太鼓)の音があたりに鳴り響き、20人近くが集まっていました。

送り盆の夜の八月踊りは、ご先祖さまも踊っているので、
あの世とこの世の踊りの競争です。

老人会長の加(くわえ)さんが先頭になって、
集落のみなさんも輪になって踊ります。




加さんが小さなころは、アハシ(枯れた松)を焚いて、
二重の輪になるほどシマの人たちが集まって踊っていたそう。
「歌詞を間違えると、年配のウジ(おじさん)たちから怒られよったよ」との思い出も。


西古見出身で名瀬在住の方も、
娘さんと息子さん夫婦、お孫を連れて八月踊りに参加。
迎えと、送りの日にシマ(西古見)に来て、八月踊りが終わったら名瀬へ。







お孫さんたちは、花火もやったりして、お盆を楽しんでいました。
自分のルーツとなるシマの暮らしが、
こうやって子どもたちの記憶に刻まれていくのでしょうね。




もちろんこれはかかせません、焼酎のふるまい。




* *


先祖を送った翌日、
旧暦7月16日は、
一年間を通じての最大の”悪日(あくじつ)”。

「海や山へ行ってはいけない」
「仕事はしてはいけない」
「何もしない日」

と言われています。

これは、先祖供養の忌み明けを示すものだそう。


七夕から始まり
旧盆の3日間と続いたにぎやかな島のお盆。
一連の営みが、この旧暦7月16日をもって終わりです。


 * *


お話をうかがった濱崎さんが、
「あっという間の3日間だったねぇ・・・」との言葉とともに見せていた表情が印象的でした。

お供えを作るために、
準備から含めると忙しい数日間を過ごし疲れているはずなのに、
ご先祖さまがあの世に戻って行くのがちょっぴりさびしそうにも見えたのです。






旧盆は、一年で一度、ご先祖さまを迎え、
遠くに住んでいる家族も集まって、
親と子のつながりに思いをはせる大事な行事。

そんな大切な時間の合間、
お話をうかがったり、ご先祖さまをお迎えする場所やお墓を見せていただき、
貴重な経験となりました。

時代の変化とともに、
旧盆のしきたりや過ごし方も簡素化や変化はしていますが、
島のご先祖さまや家族を思う気持ちは、
しっかりと受け継がれていることに触れられました。


ご協力いただいたみなさま、本当にありがとうございました。





< 参考文献 >
・「瀬戸内町誌 民俗編」 瀬戸内町
・「瀬戸内町の文化財をたずねて」 瀬戸内町教育委員会
・「奄美の暮しと儀礼」 田畑 千秋 






2013.08.21 旧盆(送り盆)
瀬戸内町 西古見 



奄美.asia / Y.K