須子茂 集落散策 / 島案内人育成講座

2012年12月23日 | 関連する集落:須子茂
加計呂麻島の
須子茂(すこも)集落へ行ってきました。

須子茂は、
加計呂麻の昔のシマのたたずまいが残っている集落。

2つの「アシャゲ」、神様が通る道「カミミチ」などが残され、
島の民俗的なものが数多く見られる、貴重な空間です。
 


この日は、「第3回 島案内人 育成講座」の
『須子茂集落散策と、島の遺跡めぐり』に参加するためでした。

瀬戸内町のシマジマに残る
貴重な自然や文化、歴史などの魅力を伝え、案内していく「島案内人」。

観光PRのサポート役として
町のさまざまな場面で活躍してもらう人材を育成しようと、
瀬戸内町役場まちづくり観光課が主催し、
育成講座が開催されています。

全6回で、加計呂麻島、請島、与路島のことを学び、
最後の検定試験で合格すると、晴れて「島案内人」として認定・登録されます。

3年目を迎える事業で、
卒業生の中には「あまみシマ博覧会」でガイドなさったかたもいらっしゃるんですよ。


 * *


奄美大島側に住む受講生は、
海上タクシーに乗って加計呂麻島の瀬相港へ。


ここで加計呂麻島の受講生と合流し、
加計呂麻バスに乗って須子茂を目指します。

台風などさまざまな災害で道路事情が悪く、
かなり遠回りの、北側の実久まわりで須子茂へ。


 * *

まずは、須子茂のミャー(広場)に集合。

午前は、須子茂集落を散策し、
午後から島の遺跡についての座学と、土器などの遺物探しです。


午前の須子茂集落散策は、いくつかのグループに分かれました。

今回ガイドするのは、昨年度までの受講で検定に合格、
「島案内人」として認定されているかたがた。

みなさん前の週に、事前に須子茂で研修し
この日のガイドに備えたそうです。


 * *

島案内人の禱 一男(いのり・かずお)さんグループに同行させてもらいました。


禱さんは、加計呂麻島の俵にお住まい、
なんと81歳!

昨年、この島案内人講座を受講し、合格。
とにかく勉強熱心で、博識。
そして元気元気!!

瀬相港から須子茂までのバスの中でも、
通過する集落集落のガイドをしてくださり、
よどみなく出てくる説明に一同感心しました。


 * *

公民館前のミャー(広場)からスタートです。

こちらは「アシャゲ」。
昔、ノロ神(琉球王国から任命された祭祀を司る女性)が稲作儀礼などの祭祀する場所でした。


アシャゲのそばにある「イビガナシ」。


イビガナシは「島立神」として集落を守っている神さま。
ここのは、石灰岩の自然石でできています。



こちらは、「トネヤ」。ノロ祭祀に関連する建物。
集落の守り神の神棚が中にあります。



ゆっくり歩きながら須子茂小学校へ。

校庭にある大きなデイゴの木がシンボル。
休校中ですが、集落のかたが手入れされており、キレイに保たれています。
とてもカワイらしい小学校。



小学校の体育館そばにある「イジミ」。
昔から集落のかたが飲料水として使っている泉です。
もちろん今も飲めるので、味見!



校庭にある「奉安殿」。
戦前の日本で、天皇・皇后の御真影と教育勅語を納めていた建物。
瀬戸内町には、現在6つの奉安殿が残っています。



同じく校庭にある「母と子の像」。


この「母と子の像」には、こんなエピソードがあります。

昭和37年にNHKのラジオ番組で、
当時の須子茂小学校の校長の投書「追い詰められたへき地教育の悩み」が読まれた。

当時、夜間しか電気が使えなかった加計呂麻島、
昼間は、自家発電だけが頼り。
だが国庫補助金が打ち切られるため、自家発電設備が作れないという悲痛な訴えだった。

たまたまこれを聴いた
大手ゼネコンの鹿島建設社長の鹿島卯女さんが資金援助を申し出、
念願の自家発電機が整備され、
映画鑑賞など動向の視聴覚教育が飛躍的に充実していった。

学校からはお礼に蘇鉄を送るなど交流が続いた。

出稼ぎで男親たちが島を長く留守しているのに耐えている
須子茂の母と子の心の支えとなるように、
鹿島卯女さんから、ふたたびこの「母と子の像」を贈られた。


校舎裏の小屋にある、その自家発電機。
 




須子茂集落は、生け垣がいつもきちんと刈揃えられています。
歩いていて、とても気持ちのいい集落。



「カミミチ」。ここもキレイに手入れされています。

以前、電信柱を建てる時に業者が場所を探していた時のお話。
業者は空き地だと思いカミミチに建てようとしましたが、
集落の方は、とんでもないと、
個人の庭を提供し、電信柱を建てるようにしたとか。
それだけ、カミミチは集落の方にとって守るべき大事な場所なんですね。


「厳島神社」。
正月1日か15日の寅の日には、村の人が祈願。


厳島神社の目の前にハナシュクシャがいっぱい。
白い花を咲かせとてもいい香りがします。

英名ジンジャーリリー。
ガイドの中には「神社の前に咲いてるから”ジンジャリリー”!」なんて説明するかたもいたとか。
もちろんジョークですが、
そういう覚えかたをさせるのもガイドの力の一つかもしれませんね。



禱さんが担当する受講生は、
加計呂麻島の薩川でペンション「紫微鑾駕(しびらんか)」を営んでいる栁沢(やなぎさわ)ご夫妻。


ご主人の良裕さんは、東京出身。
「島在住5年目。みなさんにいろいろ島のことを教えていただいていますが、
集落によっても違ってそこに入らないと分からない。
島のことを全体的に、ちゃんと知りたくて受講しました」。

奥さんの志賀子さんは、加計呂麻島・薩川のご出身。
「高校を卒業して、ずっと東京にいました。
島より東京にいる時間のほうが長く、島に戻ってきて気づくと、
島のことを何も知らない。ペンションでもいろいろ聞かれるので
自分流でなく、ちゃんと勉強したかった。島のことを再発見しています」。


集落にもう一つある木製の「アシャゲ」。



そばには、「力石」(ちからいし)があります。
昔の若者の力比べに使われた石。多い人で17回担いで村の中を回ったとの云われが。



このアシャゲのそば、
民家の横にも「カミミチ」が通っています。



ひととおり回って、集落の案内終了!
質問タイムです。
いろいろ聞いても、どんどん答えや考察が出てくる案内人の禱さん。すごい!



それぞれのグループが散策から戻り、海岸の涼み台などでお昼ごはん。


須子茂出身の受講生が、
散策途中で会った親戚からもらったミカンをみんなに配って食べたり。

幅広い世代が参加していますが、
みなさん「島を学びたい!」という気持ちが共通しているからか、
話題が尽きず、和気あいあいと時間が過ぎていきます。


 * *

午後からは、「島の遺跡について」。

まずは瀬戸内町立図書館・郷土館の学芸員 鼎 丈太郎(かなえ・じょうたろう)氏の講座。


島の遺跡、土器や貝などの出土品、
琉球や本土との関わりから見る、奄美の役割などについて学びました。

この須子茂集落でも、
道路工事に伴ない発掘調査が行われ数多くの遺物が発見されました。

須子茂集落遺跡では、
弥生時代中期から近現代にいたるさまざまな遺物が出土しており、
ちょっと歩くだけでも
たくさんの遺物が見つけられる貴重な集落なんだそう。
 


注目すべき出土品は、ゴホウラの貝殻。

このゴホウラは、弥生時代から古墳時代にかけて
北部九州などでは貝輪(ブレスレット)の材料として珍重されていたもの。

南西諸島に多く生息しているため、
こちらから北部九州へ運ばれたと考えられています。

須子茂集落遺跡からは、
島外産の土器や陶磁器など外来の焼き物も出土しており、
古くから南北の諸島間での交流があったことがうかがい知ることができます。

他に、須子茂での発掘調査の時に、
集落の道の辻にハブの骨を埋めて、
その上からシャコ貝で押さえる魔除けも見つかった、
という話などは参加者の興味を引いていたようです。


 * *


遺跡について勉強した後は、
集落をめぐって実際に土器などの遺物を見つけます。





土器を探す合言葉は、「下を向いて歩こう!」。


須子茂集落は、深く掘らなくても
土器が道路の表面にあるという素人が聞くとビックリするような事実。

やりはじめると、宝探しのようにみなさんハマりだします。


「先生、これは土器ですか?」。
次々に受講生が持ってきます。



土器かな~と思っても石であることが多く、見分けがつきにくいですね。

1番右は残念ながら石でしたが、他に土器と貝を見つけたようです。
自分が弥生時代の土器を見つけられるなんて!



みなさんの、この日の成果!

土器(兼久式らしきもの)、古墳時代のスセン當式土器などをはじめ、
青磁・白磁、カムィヤキ(類須恵器)、染付、
滑石、布目圧痕土器、壺屋焼(沖縄産)、薩摩焼(鹿児島産)
ヤコウガイ、貝の小玉(?)などなど。


ざっと1時間ぐらい歩いただけで、
これだけのものが見つかるのは、
考古学の研究者が見ても「すごい!」と言うような場所なんだそうです、須子茂は。

出土したものからも、
奄美は沖縄と本土を結ぶ中継的な役割をしていたようです。


遺跡のことなど机の上で学んだだけだとピンときにくいですよね。

自分で歩いて回って、土器などさまざまな遺物に出会うと、
「本当に弥生時代にここに人が住んでいたんだー」と、
急に遺跡や土器という言葉が身近に感じられます。
想像するだけで、ロマンが広がります。


この日の島案内人講座は、これにて終了。

みなさん須子茂の中を自分で歩いて、
集落の成り立ちや空間形成、
シマの美しさ、そして遺跡にもふれることができたようです。

今後、島案内人育成講座では、与路島・請島にも行き
島のことを学んでいきます。

「島案内人」がもっともっと増え、
町民の一人ひとりが自らシマの魅力を発見、伝えられるようになると、
瀬戸内町の発信力もどんどん高まっていくでしょうね。



須子茂集落には、このような案内板もあります。


海岸には、かわいらしいバス停も。



正面に浮かぶのは、無人島の「須子茂離れ」。
左には与路島。晴れた日には徳之島も見えます。
他の島との交流の拠点としても、重要な位置だったのかもしれません。






須子茂は、個人的にも大好きな集落。

内地から知り合いが遊びに来て、
加計呂麻島に渡ると散策に連れていくところです。

島のらしい雰囲気があちこちに感じられ、
集落の中を歩くだけで、すがすがしい気持ちになれる
とっておきの場所。

ぜひ、みなさんも散策してみてください。





< 参考文献 >

「まんでぃ 加計呂麻島・請島・与路島をめぐる旅」 瀬戸内町役場まちづくり観光課
「瀬戸内町文化財ハンドブック せんとうち」 瀬戸内町教育委員会
「瀬戸内町の文化財をたずねて」瀬戸内町教育委員会



2012.12.19

瀬戸内町 加計呂麻島 須子茂

S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内